木村カエラのミュージックビデオ
BANZAIとマスタッシュを、見直したのだが、これが素晴らしいね。
シンプルで、そして、美しく、象徴性が高い。
ヴィトという指揮者の評価の不当性は著しい。録音に積極的(過ぎる)なヤンドーの評価が定まらないのと似たところがある。しかし、ぼくはポーランド放送響とともにやってきた演奏の素晴らしさを実際に体感しているので、この指揮者の演奏にいつも注目している。もっともポーランド法則響は素晴らしい弦楽セクションに対して管楽器はへろへろだった(笑)。
ヴィトがワルシャワフィルの指揮者になって七年。
満を持してNAXOSから発表されたシマノフスキの交響曲録音は、この曲のスタンダードな演奏として長く記憶に残るものだろう。2,3番のカップリングも1、4番のカップリングも、時としてとらえどころのない感じを与えるこの作曲家の交響曲を、ある程度細部まで見事に描きわけ、充分な高揚感も伴う名演である。ヴィトによるペンデレツキとシマノフスキの録音は、母国のエース指揮者としての立場を十二分に理解したヴィトの、使命感あふれるものばかりだ。

本当にいい演奏。
ヴィトはもっともっと評価されるべきだと思う。
いまやポーランドのお国ものに関しては頂点に、それ以外のものも、充分にトップレベルに位置する演奏を提案し続ける指揮者であると思う。

オーケストラがよくなって、力感も官能的とも言える猥雑な表現も、圧倒的によくなった。
シマノフスキというのは、それにしてもすごい。ヤナーチェクのように、すごい。
仙台までの往復の道中。ぼくはずうっと、チェコの音楽ばかり聞いていた。ターリッヒのわが祖国、エリシュカのドヴォ6とタラスブーリバ、ヤナーチェク弦楽四重奏団のクロイツェルとないしょの手紙・・・。マーラーの復活。
それは私の中にできてしまったステレオタイプの理解に過ぎぬのかも知れないが、ボヘミアの音楽は、深い森の中をさまよう魂のような響きを持っている。森の中で生まれ森の中で死んでいくというか・・・。
あ、正確にはヤナーチェクの暮らしたモラヴィアじは、ボヘミアとはまた違った文化圏なのだというが、ぼくの音楽的なイメージでいうなら、さらんみ奥へ奥へと深まっていく森、というか。

クーベリックは、マーラーを、ボヘミアに生まれながら母語を使うことを許されない環境に生まれ育った人間の悲劇と魂の彷徨の音楽だというようなことを、どこかで言っていた。マーラーはドイツ音楽などでは断じてない、と。「復活」をこういう文脈で聞いていると、クーベリックの指摘は本当だなと思えてくる。
さまよう魂は、タラスブーリバのラストのように、昇華され、浄化されていくのだろうか。
死に近いことばかり、考えながら、音楽を聴いている。ボヘミア(モラヴィア)の森をさまよっている。
増上寺のすぐ前のホテルに宿泊している。
カエルの声が、部屋の窓から聞こえてくる。
こんな都会の真っただ中に暮らして命をつないでいるカエルがいるのだ。
カエルの声というのは、素敵だ。
自分が日本人であるということを、強く思わされる。
夜になるほどに、声はよく聞こえてくる。
「遠田のかはづ天に聞こゆる」
田んぼはないけど、ね。
マイケル・ジャクソンの数ある曲の中で、ぼくが一番好きなのは、
このどうでもいい、クソバラードだ。
シンプルなメロディ、シンプルな歌詞。
やさしくさみしい声。
マイケル・ジャクソンの姿は、ぼくには、この10年、いつも市民ケーンと重なって見えていた。
今日はこの曲ばかり聴いていた。
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